徳川家康に仕えた漢方医から始まった柳屋本店の歴史|創業1615年、400年以上続く老舗化粧品メーカーの物語

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日本橋の「紅屋」から始まった柳屋本店
徳川家康との縁と老舗企業の400年史

株式会社柳屋本店は、東京都中央区日本橋馬喰町に本社を置く、医薬部外品・化粧品メーカーです。その歴史は、江戸幕府が開かれて間もない1615年までさかのぼります。会社の起源となった人物は、明、現在の中国から日本へ渡ってきた漢方医・呂一官です。呂一官は徳川家康の信任を得て江戸へ移り、日本橋で紅や白粉、香油などの製造販売を開始しました。江戸時代には髪油の名店として広く知られ、明治、大正、昭和と時代が移り変わるなかでも、人々の髪と身だしなみに関わる商品を作り続けてきました。

関東大震災や東京大空襲によって店舗や工場を失いながらも、そのたびに事業を再建。現在では「柳屋ポマード」や「柳屋あんず油」などを展開する、国内有数の老舗化粧品メーカーとして知られています。ここでは、徳川家康との関係から柳屋ポマードの誕生、震災・戦災からの復興まで、株式会社柳屋本店が歩んできた400年以上の歴史を紹介します。

株式会社柳屋本店の基本情報

株式会社柳屋本店は、医薬部外品や化粧品などの製造販売を手がける企業です。本社は、東京都中央区日本橋馬喰町にあります。会社としての設立は1948年ですが、事業の創業は1615年とされており、400年以上にわたって化粧品や整髪料に関わる事業を続けてきました。

主な会社情報は次のとおりです。

項目内容
商号株式会社柳屋本店
所在地東京都中央区日本橋馬喰町1-10-6 プレクシードビル
創業1615年(元和元年)
設立1948年(昭和23年)5月18日
資本金2億円(資本準備金含む)
決算期4月
従業員数54人
事業内容医薬部外品、化粧品などの製造販売
販売機構株式会社柳屋本店から全国代理店を通じ、全国の販売店へ商品を供給

現在の会社概要だけを見ると、柳屋本店は化粧品やヘアケア商品を扱うメーカーの一社に見えるかもしれません。しかし、その起源をたどると、戦国時代の徳川家康と明出身の漢方医との出会いに行き着きます。

柳屋本店の起源は明から渡来した漢方医・呂一官

漢方医・呂一官

柳屋本店の歴史の原点となったのが、明から日本へ渡ってきた漢方医・呂一官です。呂一官は16世紀後半の戦国時代に来日し、当初は京都に居住していました。薬草や漢方医学に詳しいだけでなく、中国の香木や貿易事情などにも精通しており、その知識と技術は高く評価されていたといいます。当時、徳川家康の居城があった岡崎城下では悪疫が流行していました。呂一官は治療のために招かれ、疫病の終息に貢献したことで、家康から強い信任を得るようになります。

その後も医学や薬草に限らず、土木、貿易、中国の事情など、さまざまな分野について家康から意見を求められました。1584年、呂一官は浜松城下に屋敷地を与えられ、唐土の事情や唐薬種に関わる御用を務めることになります。

また、日本人女性と結婚したことをきっかけに、妻方の姓を取り「辻一官」とも名乗るようになりました。

徳川家康の江戸入国に伴い日本橋へ移住

1590年、徳川家康は豊臣秀吉の命によって関東へ移り、江戸を本拠地とします。呂一官も家康とともに江戸へ移り、現在の日本橋交差点付近に屋敷地を与えられました。この土地は、徳川家から正式に認められた「御朱印地」だったとされています。江戸時代の日本橋は、全国各地から人や物が集まる商業の中心地でした。のちに五街道の起点となり、商人や職人が集まる日本最大級の商業地域へと成長していきます。

呂一官が屋敷地を与えられた場所は、その後の柳屋本店の発展を支える重要な土地となりました。

1615年、日本橋で紅や香油の製造販売を開始

柳屋本店が創業年としているのは、1615年、元和元年です。呂一官は日本橋の御朱印地の一角で、食用紅、化粧紅、練紅、白粉、香油などの製造販売を始めました。これが、現在の柳屋本店につながる化粧品製造販売事業の始まりです。当時の紅や白粉、香油は、単に外見を美しく整えるための商品ではありませんでした。身分や礼儀、生活文化とも深く結びついた重要な品物であり、質の高い化粧品は大名家や宮中でも重宝されていました。

呂一官が持っていた漢方や香木に関する知識は、化粧品の処方にも生かされたと考えられます。柳屋の商品は品質の高さから、江戸城の大奥や京都の宮中でも人気を集め、一般の人々の間でも高級品として評判になっていきました。

「紅屋」から「柳屋」へ、屋号に込められた願い

創業当初の屋号は、紅を扱う店であることから「紅屋」と呼ばれていました。その後、屋号は「柳屋」へと改められ、代々受け継がれていきます。柳屋という名称には、「柳条末広」や「柳に雪折れなし」という言葉の意味が込められているとされています。柳の枝は風や雪の重みに合わせてしなやかに曲がりますが、簡単には折れません。その姿になぞらえ、常に頭を低くして商いに向き合い、どのような困難にも挫折せず、末永く商売が繁盛するようにとの願いが込められました。

実際に柳屋本店は、その後、震災や戦争、生活様式の変化など、数多くの困難に直面します。それでも事業を絶やすことなく続けてきた歩みは、まさに柳のようなしなやかさを表しているといえるでしょう。

呂一官の死後も受け継がれた柳屋の事業

呂一官は1623年10月10日に亡くなりました。その後、日本橋の屋敷地と柳屋の事業は、妻方の辻家へと引き継がれます。さらに後の時代には堀家などを経て、近江商人として関東に進出していた外池家へ継承されました。江戸時代には、一人の創業者が始めた商売を、血縁だけでなく、暖簾や営業権、技術、信用とともに次の経営者へ引き継ぐことがありました。

柳屋も複数の家による継承を経ながら、紅、白粉、香油、髪油を扱う店として歴史をつないでいきます。

近江商人・外池家が柳屋の事業を発展

近江商人・外池家

柳屋の事業を大きく発展させたのが、近江商人の外池家です。近江商人とは、現在の滋賀県を拠点に、全国各地へ行商や出店を行った商人の総称です。外池家の外池宇兵衛正保もその一人で、郷里を離れて関東へ進出しました。正保は下野国那須郡馬頭町に店舗を構え、そこを起点として各地へ事業を広げ、外池家の商いの基礎を築きます。

その後、長男の正方と弟の正義が協力して販路を拡大し、店舗数を増やしていきました。文化・文政年間には、紅、白粉、髪油を扱う柳屋の事業を引き継ぎ、江戸日本橋での経営を本格化させます。

外池家の経営によって、柳屋は化粧品店としてだけでなく、髪油を代表商品とする有力な商店へと成長しました。

江戸で評判を集めた髪油「柳清香」

江戸時代の柳屋を代表する商品の一つが、鬢付油の「柳清香」です鬢付油は、日本髪や髷を結う際に髪を整えるために使われる油です。当時は男性も女性も髷を結っていたため、日常生活に欠かせない商品でした。柳屋では古くから鬢付油を扱っていましたが、独自の製法によって香りと品質を高めました。丁子、菖蒲根、茴香、白檀などの香木や麝香を白絞油に加え、大釜で数日間煮込みます。香りを油に染み込ませた後、木の樽に詰めて寝かせ、香りをなじませて完成させていました。

こうして生まれた柳清香は、香りの良さと使い心地から人気を集め、柳屋の代表商品となります。

柳屋では、粉白粉を「雪の上」、練白粉を「蘭の露」と名付けて販売していました。これらの商品は京都の宮中や徳川家の大奥をはじめ、多くの人々に愛用されたと伝えられています。江戸後期には、日本橋の代表的な土産として「山本の海苔、山本山の茶、柳屋の髪油」といわれるほど、柳屋の名は全国に知られるようになりました。

明治時代の断髪令と生活様式の変化

1868年に明治時代が始まると、日本人の生活や価値観は大きく変化しました。柳屋にとって特に大きな影響を与えたのが、1871年の断髪令です。男性が髷を結わず、短髪にすることが次第に一般化したため、髷を整えるための鬢付油の需要にも変化が生じました。しかし、柳屋は従来の商品だけに依存していたわけではありません。この頃には、三宅島や大島産の椿油を原料にした鬢付油「瓊姿香」を販売し、高い評価を得ていました。髪のツヤを整え、フケを防ぎ、香りが長く続く商品として人気を集めたとされています。

また、紅、白粉、鬢付油などの化粧品に加え、呉服、酒、醤油なども扱っており、事業を多角化していました。社会の変化に合わせながら商品構成を変えていったことが、明治以降も柳屋が事業を継続できた理由の一つです。

明治末期には商品カタログと通信販売を展開

柳屋は、販売方法の面でも先進的な取り組みを行っていました。1911年には「おつくりの栞」という商品カタログを発行。1913年の改訂版には、通信販売の案内も掲載されていました。遠方の顧客が東京まで足を運ばなくても、自宅にいながら商品を取り寄せられる仕組みを整えていたのです。商品が気に入らなければ取り替えに応じることも案内されており、顧客の安心感を重視した販売姿勢がうかがえます。

インターネット通販が登場するはるか以前から、カタログを通じて全国の顧客へ商品を届けようとしていた点は、柳屋本店の興味深い歴史の一つです。

1920年に誕生した「柳屋ポマード」

明治から大正時代に入ると、男性の髪型は髷から短髪へと変わりました。そこで新たに需要が高まったのが、髪に光沢を与えて形を整えるポマードです。当時のポマードには、動物性の脂肪や石油由来のワセリンを使ったものが多くありました。しかし、洗髪しても落としにくいなどの課題がありました。柳屋では1920年、アメリカ人技師のハーバード・ジョイスを招き、新しいポマードの開発に取り組みます。そして、ヒマシ油に木蝋を溶かし込んだ純植物性の「柳屋ポマード」を完成させました。

柳屋ポマードは、髪を整える機能性と品質の高さから支持を集め、柳屋を代表する商品へと成長します。昭和初期には若者だけでなく、幅広い年代の男性がポマードを使って髪を整えるようになり、柳屋ポマードの売り上げも大きく伸びました。

ポマードという商品名そのものが会社を象徴するほど、柳屋とポマードの結びつきは強いものになっていきます。

関東大震災で日本橋の店舗を焼失

柳屋の長い歴史は、順調な出来事ばかりで築かれたものではありません1923年9月1日に発生した関東大震災では、日本橋の店舗が大きな被害を受けました。地震発生後、東京の各地で火災が発生し、日本橋にも炎が迫りました。従業員たちは重要書類や鍵などを荷車に積み、大森方面へ避難します。その後、日本橋の店舗は火災によって焼失しました。

それでも柳屋は、震災から間もなく元の場所に仮設の店舗を建て、営業を再開します。商品は大阪の仮工場で製造し、東京へ運びました。翌1924年には新しい店舗を完成させ、卸売部門や製造場所、倉庫などを徐々に増設。大きな被害を受けながらも、早期の事業再建を実現しています。

昭和恐慌のなかでも伸びたポマード需要

関東大震災からの復興が進む一方、1927年には金融恐慌、1929年には世界恐慌が発生しました。経済が不安定になるなかでも、生活の落ち着きとともに化粧品や整髪料の需要は回復していきます。柳屋は1930年、小石川区高田豊川町に早稲田工場を建設し、増加する需要に対応できる生産体制を整えました。1933年頃には、若者だけでなく高齢者までポマードを使うことが一般的になり、柳屋ポマードの販売も拡大しました。

一方で、原材料となる植物油の価格が高騰し、売り上げが伸びても経営環境は決して楽ではありませんでした。需要の増加と原材料価格の上昇という難しい状況のなかで、柳屋は商品の品質と生産を維持し続けました。

戦時中の原材料不足と生産への影響

1930年代後半から戦争が本格化すると、日本国内では物資の統制が強まります。柳屋ポマードの主原料であるヒマシ油は、航空機やエンジンの潤滑剤としても使用されていたため、軍需向けに優先的に配分されるようになりました。化粧品業界で使用できる量は減少し、柳屋を含む整髪料メーカーは厳しい原材料不足に直面します。

代用品の研究も行われましたが、品質や機能の面で十分なものを作ることは容易ではありませんでした。戦況が悪化するにつれて原材料の供給はさらに減少し、柳屋の事業も厳しい状況へ追い込まれていきます。

東京大空襲で店舗と工場を失う

1945年3月10日の東京大空襲により、柳屋は日本橋の店舗を焼失しましたさらに同年4月13日の空襲では、早稲田工場も焼失します。販売拠点だけでなく、生産拠点まで失い、柳屋は事業を続けるための設備のほとんどを失いました。それから約4カ月後の1945年8月15日、日本は終戦を迎えます。

創業以来、さまざまな困難を乗り越えてきた柳屋にとっても、戦争による被害は極めて大きなものでした。

終戦から4カ月後に営業を再開

店舗と工場を失った柳屋でしたが、終戦した1945年のうちに再建へ向けて動き始めます。同年12月1日、日本橋の店舗跡地に営業所を建て、事業を再開しました。翌1946年4月15日には、早稲田工場の跡地に新たな工場を建て、ポマードの生産を再開します。当時は東京の広い範囲が焼け野原となり、建築資材は極端に不足していました。復興した工場も、十分な設備を備えたものではなく、簡素な建物だったとされています。

それでも、柳屋は生産と販売を止めることなく、戦後の再出発を果たしました。

ポマードの原料を求めて全国を奔走

終戦直後は、ポマードを製造するためのヒマシ油を入手することも困難でした。焼失した早稲田工場には地下室があり、そこに設置されていたタンクとヒマシ油の一部は空襲を免れていました。この原料を使うことで、生産を再開することができたといいます。しかし、残されたヒマシ油だけでは急増する需要に対応できません。そこで柳屋の従業員は、戦時中に航空機エンジンの潤滑剤として使われていたヒマシ油を探すため、全国の飛行場跡や周辺地域を回りました。

「ヒマの油 買います」と書いたチラシを配布し、原材料の確保に奔走したこともあったとされています。十分な設備も原料もないなかで、品質に妥協せず商品を作ろうとした姿勢が、戦後の柳屋ポマードの復活につながりました。

1948年に株式会社柳屋本店を設立

戦後の事業再建が進むなか、1948年5月18日に株式会社柳屋本店が設立されました。1615年の創業から受け継がれてきた商いは、近代的な株式会社として新たな段階に入ります。戦後は男性用整髪料市場の拡大とともに、柳屋ポマードが広く普及しました。柳屋本店は男性化粧品や整髪料を代表するメーカーの一つとして、業界を支えていきます。

長年にわたって培ってきた油や香りに関する技術、髪を美しく整えるための知識は、後の商品開発にも受け継がれました。

柳屋ポマードから柳屋あんず油まで広がる商品

柳屋本店は、柳屋ポマードで知られる企業ですが、現在は男性向け整髪料だけでなく、女性向けのヘアケア商品なども展開しています代表的な商品の一つが「柳屋あんず油」です植物由来の油を生かして髪を美しく整えるという考え方は、江戸時代の香油や鬢付油、1920年に誕生した植物性ポマードにも通じています。時代によって髪型や生活習慣、消費者の好みは変わりましたが、柳屋本店は一貫して髪と身だしなみに関わる商品を作り続けてきました。

また、オーデコロンのブランドとして知られる「4711」シリーズの国内展開など、香りに関係する事業にも携わってきました。漢方医として香木や薬草に精通していた呂一官から始まった企業が、現在も髪や香りに関わる商品を扱っている点は、柳屋本店の歴史を象徴しています。

創業400周年と「黒髪美人大賞」

柳屋本店は2015年に創業400周年を迎えました。同年には、日本人の美しい黒髪の魅力を広く伝えることを目的として「黒髪美人大賞」を創設しています。江戸時代の紅、白粉、香油から始まり、鬢付油、ポマード、現代のヘアケア商品へと事業を発展させてきた柳屋本店にとって、髪の美しさは400年以上にわたる重要なテーマです。

単に古い会社として歴史を保存するだけでなく、現代の価値観や美容文化に合わせた商品や活動を続けていることも、柳屋本店の特徴といえます。

柳屋本店の社章に使われる「花散里」

柳屋本店の社章には、源氏香之図の一つである「花散里」を図案化した意匠が使われています。源氏香之図は、香りを聞き分ける香道の遊びから生まれた図柄で、組香の結果を線で表したものです。柳屋本店の社章に香りと関係する伝統的な図柄が用いられていることは、香油や香木を扱ってきた同社の歴史とも深く結びついています。髪油、香油、ポマード、オーデコロンなど、柳屋本店の事業では長年にわたって香りが重要な役割を果たしてきました。

社章は、そうした企業の文化と歴史を現在に伝える象徴の一つです。

400年以上続く柳屋本店から見える老舗企業の強さ

柳屋本店の歴史を振り返ると、同社が単に一つの商品を長く売り続けてきた企業ではないことが分かります。江戸時代には紅や白粉、鬢付油を扱い、明治時代には断髪令による生活様式の変化に対応しました。大正時代には植物性の柳屋ポマードを開発し、昭和には震災、恐慌、戦争を乗り越えています。

社会や髪型が変われば、必要とされる商品も変わります。

柳屋本店は、自社が持つ油、香り、髪に関する技術を残しながら、時代に合わせて商品を変化させてきました。

伝統をそのまま守るのではなく、受け継いだ技術や考え方を新しい商品へ置き換えてきたことが、400年以上続く企業の強さにつながっていると考えられます。

記事要約(Summary)

株式会社柳屋本店は、1615年に日本橋で創業した老舗化粧品メーカーです。その起源は、明から日本へ渡り、徳川家康の信任を得た漢方医・呂一官にあります。呂一官は日本橋で紅、白粉、香油などの製造販売を始め、現在の柳屋本店につながる事業の基礎を築きました。その後、柳屋は外池家などによって受け継がれ、江戸時代には鬢付油「柳清香」で広く知られるようになります明治時代の断髪令によって髪型が変化すると、新しい需要に対応し、1920年には植物性の「柳屋ポマード」を発売。ポマードは柳屋を代表する商品へと成長しました。一方で、関東大震災では日本橋の店舗を失い、第二次世界大戦では店舗と工場の両方を焼失しています。それでも柳屋は早期に営業と生産を再開し、1948年に株式会社柳屋本店を設立しました。

現在は柳屋ポマードに加え、柳屋あんず油をはじめとするヘアケア商品などを展開しています。徳川家康に重用された漢方医の知識から始まり、紅、香油、鬢付油、ポマード、現代のヘアケア商品へと受け継がれてきた柳屋本店の歴史は、日本の化粧文化や髪型の変化を映し出す物語でもあります。

幾度もの災害や社会変化を乗り越えながら、髪と香りに関わる事業を400年以上続けてきたことが、株式会社柳屋本店の大きな特徴です。

出典:www.yanagiya-cosme.co.jp

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