株式会社金剛組の歴史|578年創業、聖徳太子の時代から続く「世界最古級の企業」と宮大工の物語

世界最古の企業「株式会社金剛組」
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大阪府大阪市天王寺区に本社を置く株式会社金剛組。神社や寺院の建築、文化財建造物の復元・修理などを手がける建設会社ですが、その名を世界的に知らしめているのが、西暦578年に始まったとされる1400年以上の歴史です。その起源は、飛鳥時代までさかのぼります。聖徳太子による四天王寺建立のため、百済から日本へ招かれた宮大工の一人、金剛重光。この人物を祖とする金剛組は、四天王寺とともに歩み、戦乱、火災、自然災害、明治維新、戦争、経営危機など、幾度となく大きな時代の転換点を乗り越えてきました。

現代では髙松建設グループの一員として、伝統的な宮大工の技術と現代建築の技術を融合させながら、社寺建築の文化を次の世代へ受け継いでいます。今回は、日本最古の企業として知られる金剛組が、なぜ1400年以上もの歴史をつないでこられたのか、その歩みをたどります。

金剛組の始まりは578年|聖徳太子と四天王寺建立

聖徳太子

金剛組の歴史が始まったのは、飛鳥時代の西暦578年とされています。当時、聖徳太子は仏教の興隆を目的として四天王寺の建立を計画しました。しかし、当時の日本では本格的な仏教寺院を建築するための高度な技術が十分に確立されていませんでした。そこで百済から3人の工匠が日本へ招かれます。そのうちの一人が、金剛組の初代とされる金剛重光でした。金剛重光らは、日本最古級の本格的仏教寺院として知られる四天王寺の建立に携わります。

四天王寺が一応の完成を迎えた後も重光は日本に残り、寺院を守りながら建築技術を後世へ伝えていきました。

ここから、金剛家と四天王寺の長い歴史が始まります。

四天王寺とともに受け継がれた宮大工の技術

四天王寺は593年に創建されたとされていますが、創建当初の計画に含まれていた廻廊や講堂などが完成するまでには、その後も長い年月を要しました。すべてが整ったのは奈良時代前期。初代金剛重光の時代から、すでに100年以上が経過していました。当然ながら、その頃には初代重光は亡くなっていました。しかし、重光が持っていた建築技術や寺院建築に対する姿勢は、二代目、三代目へと受け継がれていきます。

建物そのものだけではなく、技術、人材、思想を次の世代へ伝える仕組みが早い段階から存在していたことが、金剛組の長い歴史を支えた要因の一つと考えられます。四天王寺を築いた伝統的な工法も受け継がれ、現在の金剛組が持つ「組み上げ工法」などの技術へとつながっています。

1576年、織田信長と石山合戦によって四天王寺が焼失

1400年以上の歴史は、決して平穏なものではありませんでした。1576年(天正4年)、織田信長と石山本願寺による石山合戦の戦火に巻き込まれ、四天王寺は支院を含む伽藍の大部分を焼失します。長い年月をかけて築かれた寺院が、戦乱によって失われることになりました。しかし、金剛組の歴史はここで途絶えませんでした。豊臣秀吉が天下統一を進めた後の1597年(慶長2年)には、四天王寺支院の勝鬘院、通称「愛染堂」の多宝塔が再建されます。この多宝塔に残された雷除けの銅板には、「総棟梁金剛匠」の銘が残されています。

現在、この多宝塔は大阪市内最古の木造多宝塔として国の重要文化財に指定されています。数百年前の建築物そのものが、金剛組の長い歴史を現代へ伝える証しとなっているのです。

大坂冬の陣で再び焼失|それでも四天王寺を再建

1614年、大坂冬の陣によって四天王寺は再び焼失します。その後、江戸幕府による四天王寺再建が始まり、金剛家第25代当主の是則が伽藍再建を命じられました。四天王寺は、長い歴史の中で戦火や火災、自然災害によって何度も大きな被害を受けています。

そのたびに金剛組は寺院の再建に携わりました。つまり金剛組は、単に古い建築会社なのではありません。

失われた建物を何度も蘇らせながら、建築技術そのものを後世へつないできた企業でもあります。

第32代・金剛喜定が残した「職家心得之事」

江戸時代には、雷による火災によって四天王寺の五重塔が焼失し、さらに境内の大半が被害を受けたこともありました。その再建に力を尽くした人物が、金剛家第32代の金剛喜定です。喜定は後継者に向けて「遺言書」を残しました。そこに記されていたのが、金剛家の家訓として後世まで伝わる「職家心得之事」*です。

全部で16の教えからなり、内容は建築技術だけにとどまりません。

たとえば、

「読書・そろばんの稽古をすること」
「配下や弟子など、目下の者には情けをかけ、穏やかな言葉で接すること」
「正直な見積りを作成すること」
「先祖を敬い、供養を怠らないこと」

など、仕事への姿勢、人との接し方、経営、倫理、先祖への敬意にまで及んでいます。1400年以上という時間を考えると、建築技術だけを継承するだけでは企業を存続させることは困難です。金剛組では、職人としてどう生きるか、仕事とどう向き合うかという価値観そのものが世代を超えて受け継がれてきたことが分かります。

明治維新で最大の転換点|四天王寺の「お抱え宮大工」から独立へ

江戸時代まで、金剛家は四天王寺のお抱え宮大工として仕事を続けていました。毎年一定の禄を受けながら四天王寺の建築や修繕を担うという、長年にわたり安定した関係が築かれていたのです。ところが、1868年(明治元年)の明治維新を境に状況が大きく変わります。神仏分離政策など社会制度が大きく変化し、その後、四天王寺は寺領を失いました。それに伴い、金剛組が受けていた禄も廃止されます。長い間続いてきた「四天王寺のお抱え宮大工」という事業基盤そのものを失うことになったのです。

これは金剛組にとって、非常に大きな経営危機でした。しかし金剛組は、四天王寺だけに仕事を依存する従来の形から転換します。新たに他の寺院や神社へも進出し、宮大工としての技術を外部へ広げていきました。伝統を守る一方で、環境の変化に合わせて事業の形を変える。この柔軟性も、金剛組が長く存続してきた理由の一つといえるでしょう。

1903年には四天王寺の大鐘楼を建立

明治以降も、金剛組と四天王寺との関係が途切れたわけではありません。1903年には、四天王寺の大鐘楼を建立しています。しかし昭和に入ると、金剛組は再び大きな苦境を迎えることになります。

第37代の死と、金剛組初の女性棟梁・金剛よしえ

金剛組初の女性棟梁・金剛よしえ

昭和初期、金剛組の経営は非常に厳しい状況に陥っていました。第37代の金剛治一は宮大工として強い職人気質を持っていましたが、仕事は極度に困窮します。そして1932年(昭和7年)、治一は祖先に詫びる形で、先祖代々の墓前で自ら命を絶ちました。長い金剛組の歴史の中でも、特に厳しい時期の一つです。その危機に立ち上がったのが、妻の金剛よしえでした。

よしえは金剛組の第38代を継承。歴代で初めての女性棟梁となり、各方面を奔走しながら経営危機を乗り越えていきます。そしてそのわずか2年後、金剛組にはさらに大きな出来事が起こりました。

1934年の室戸台風|倒壊した四天王寺五重塔を再建

1934年(昭和9年)、近畿地方を中心に甚大な被害をもたらした室戸台風によって、四天王寺の五重塔が倒壊しました。再建を任されたのは、再び金剛組でした経営難の中で第37代を失い、第38代となった金剛よしえが組織を支えていた時代です。幾度となく失われた四天王寺を、そのたびに再建する。

飛鳥時代から続く金剛組と四天王寺との深い関係を象徴する出来事の一つとなりました。

戦時中は軍事用の木箱を製造して会社を守る

第二次世界大戦の時代になると、寺院関係の工事はほとんどなくなりました。護国神社などの神社関係の仕事はあったものの、金剛組の本来の仕事である寺院建築は大幅に減少します。さらに政府による企業統廃合政策によって、他社へ併合される危機にも直面しました。そこで金剛組は、軍事用の木箱などを製造しながら会社を存続させます。1400年以上の歴史というと、変わらない伝統だけに目が向きがちです。しかし金剛組の歴史を見ると、危機のたびに「今できる仕事」を見つけ、会社と技術者を守ってきたことが分かります。

1955年に株式会社金剛組が誕生

戦後を迎えた1955年(昭和30年)、それまでの金剛家による事業は法人化され、株式会社金剛組が誕生しました。第39代の金剛利隆は経営の近代化を進め、従来の社寺建築だけではなく、一般建築にも事業領域を広げていきます。飛鳥時代から続いてきた宮大工集団が、現代的な株式会社へと姿を変えた大きな転換点でした。

木造だけではない|鉄筋コンクリートの社寺建築にも進出

第二次世界大戦後、日本各地では戦災や火災、台風、地震などによって被害を受けた寺院・神社の再建が進められました。その際に注目されたのが、鉄筋コンクリート造です。木造と比較して防火・防災性能に優れ、経済性の面でもメリットがあることから、社寺建築にも鉄筋コンクリートが採用されるようになります。伝統的な木造建築を専門としてきた金剛組も、この変化に対応しました。早い段階から鉄筋コンクリートによる社寺建築に取り組み、日本建築本来の美しさや木造建築が持つ温かさを損なわない独自の技術を開発していきます。

ここにも、金剛組の特徴があります。伝統を守るために、新しい技術を拒絶するのではなく取り入れる。時代に合わせて工法を変化させながら、日本建築としての美しさを守る姿勢が受け継がれてきました。

関東へ進出し、全国に事業を拡大

その後、金剛組は関西だけではなく関東にも事業基盤を広げていきます。埼玉県に関東営業所を設置し、さらに埼玉県鶴ヶ島市には加工センターを開設。これにより、関東地方でも本格的な木材加工が可能になりました。東京本店や関東支店をはじめ、各地へ支店・営業所を展開し、全国の寺院や神社の建築・修復に携わる企業へと発展していきました。

四天王寺に「番匠堂」を建立|宮大工の歴史を後世へ

金剛組は四天王寺境内に、全国の宮大工発祥の地を象徴する「番匠堂」を建立しています。番匠堂には、建築や大工の神として信仰される聖徳太子が、曲尺を持った姿で祀られています。毎年11月22日には「四天王寺番匠堂曲尺太子奉賛法要」が行われ、建設関係者らが建築技術の向上や工事の安全を願います。

578年に聖徳太子の命による四天王寺建立から始まった金剛組。その出発点となった場所で、現在も宮大工文化を伝える行事が続いています。

2000年代に訪れた経営危機

しかし、1400年以上続いてきた金剛組にも、現代になって再び大きな経営危機が訪れます。戦後、寺院や神社でも鉄筋コンクリート建築が増加し、大手ゼネコンが社寺建築分野へ進出するようになりました。これにより金剛組は大手企業との価格競争にさらされます。さらに一般建築などへ事業を拡大したことなども影響し、売上の減少や資金繰りの悪化が深刻になっていきました。

そこで経営支援に乗り出したのが、髙松建設でした。

2005年、髙松建設の支援で「新生 金剛組」へ

2005年11月1日、髙松建設が全額出資する新たな株式会社金剛組が設立されました。その後、2006年1月16日に、旧会社から新会社へ寺社建築を中心とする営業権を譲渡。従業員の大半も新しい金剛組へ移籍しました。伝統的な技術、人材、宮大工集団など、金剛組が1400年以上にわたって築いてきた事業基盤を引き継ぎ、「新生 金剛組」として再出発したのです。一方、旧株式会社金剛組は不動産部門を残し「株式会社ケージー建設」へ商号変更しました。ケージー建設は2006年7月に大阪地方裁判所へ自己破産を申請し、2008年には法人格が消滅。これにより、金剛家が経営してきた旧法人としての金剛組の歴史には幕が下りました。

金剛家による同族経営は約1400年を経て終了することになります。現在の株式会社金剛組は2005年に設立された法人ですが、旧金剛組が培ってきた社寺建築事業、宮大工、技術、伝統を引き継いでいます。

そのため、金剛組について語る際には、「現在の法人の設立」と「578年から続く事業・宮大工集団としての歴史」を分けて理解することが重要です。

100人以上の宮大工を抱え、本業の社寺建築へ回帰

新生金剛組は、経営再建を進める中で改めて原点に立ち返りました。それが、創業以来の本業である宮大工と社寺建築です。金剛組には100人以上の宮大工が関わっているとされ、長い年月をかけて伝承されてきた木造建築の技術を現在へ受け継いでいます。金剛組専属の宮大工たちは、古くから伝えられてきた工法を単に守るだけではありません。

伝統工法と最新技術を組み合わせながら、数十年、数百年後にも残る建築をつくることを目指しています。

2007年には中村社寺を傘下へ

2007年7月には、民事再生手続き中だった株式会社中村社寺の全株式を取得しました。さらに2008年5月には、山車・だんじり・神輿などの新調・修理を専門とする金剛組エンジニアリングを設立。寺院や神社だけではなく、日本各地の祭礼文化を支える建造物や工芸技術の継承にも事業領域を広げています。

髙松コンストラクショングループの一員として新たな時代へ

親会社の持株会社化などを経て、金剛組は髙松コンストラクショングループの一員として事業を続けています。2011年には親会社が髙松コンストラクショングループから新しい髙松建設へ異動しました。現在の金剛組は、グループ企業として経営基盤を確保しながら、創業以来の強みである社寺建築を中心に事業を展開しています。

2013年、第39代金剛利隆が死去

2013年10月28日、第39代金剛利隆が89歳で亡くなりました。後継となる金剛家当主はおらず、翌2014年には長く続いた伝統行事にも変化が生じます。

「四天王寺手斧始め式」に残る宮大工の伝統

金剛組と四天王寺の歴史を現在へ伝える行事の一つが、「四天王寺手斧始め式」です。「手斧(ちょんな)」とは、木材を加工するために古くから大工が使用してきた道具の一つです。手斧始め式は、四天王寺の年中行事であると同時に、金剛組にとって一年の仕事始めを意味する重要な儀式でもあります。2011年4月1日には「四天王寺手斧始め式」が大阪市無形民俗文化財に指定されました。2014年には第39代金剛利隆の死去後、史上初めて金剛家当主が不在の状態で手斧始め式が行われ、金剛組相談役の植松襄一が「正大工代務者」を務めました。

時代や会社の経営体制が変わっても、宮大工が受け継いできた儀式と精神は現代まで残されています。

金剛組はなぜ1400年以上続くことができたのか

金剛組の歴史を見ると、「世界最古級の企業」と呼ばれる理由は、単に創業年が古いからだけではないことが分かります578年から現代までの間には、

・戦争
・火災
・台風
・明治維新
・寺領の消失
・第二次世界大戦
・建築技術の変化
・大手ゼネコンとの競争
・経営危機

など、企業の存続を脅かす出来事が何度もありました。それでも事業が受け継がれてきた背景には、いくつかの特徴があります。

技術を一代限りにしなかった

初代金剛重光から始まった宮大工の技術は、次の世代、そのまた次の世代へと伝えられてきました。建物をつくるだけでなく、技術を継承すること自体が金剛組の重要な役割となっていました。

時代に合わせて仕事を変えてきた

明治時代に四天王寺からの禄を失ったときには、他の寺社へ営業範囲を拡大しました。戦時中には軍事用木箱などを製造し、戦後には鉄筋コンクリートによる社寺建築へも進出しています守るべきものは守りながら、事業の方法そのものは変化させてきました。

伝統と新技術を対立させなかった

金剛組は伝統的な木造建築だけに固執してきた会社ではありません。鉄筋コンクリートなどの新しい工法も取り入れながら、日本建築らしい意匠や美しさを残す方法を模索してきました。現在も伝統工法と最新技術の融合を進めています。

経営危機では外部の力も受け入れた

2000年代の経営危機では、1400年以上続いた金剛家による経営そのものを維持することよりも、宮大工、技術、人材、社寺建築事業を残す道が選択されました。髙松建設の支援を受けるという大きな決断によって、現在まで「金剛組」の技術と事業が受け継がれています。これは、企業の形を残すことよりも、企業が本当に守るべきものを残すことを選んだ転換点ともいえるでしょう。

金剛組が現在も守り続けるもの

現在の金剛組が手がける主な事業は、神社・寺院建築の設計・施工や、文化財建造物の復元・修理などです。100人以上の宮大工を抱え、日本の伝統建築を未来へつなぐ仕事を続けています。1400年以上前、聖徳太子の命を受けて海を渡ってきた一人の工匠。そこから始まった技術が、現代の大阪で今も受け継がれている。

金剛組の歴史は、日本企業の歴史であると同時に、日本の建築文化そのものを守り続けてきた人々の歴史でもあります。

株式会社金剛組の会社概要

項目内容
会社名株式会社金剛組
英文名Kongo Gumi Co., Ltd.
創業578年
現法人設立2005年11月1日
本社所在地大阪府大阪市天王寺区四天王寺一丁目14番29号
業種建設業
事業内容社寺建築の設計・施工、文化財建造物の復元・修理など
代表者代表取締役会長 多田俊彦、代表取締役社長 大槻純一郎
資本金3億円
市場情報非上場
法人番号1120001112632

記事要約(Summary)

株式会社金剛組の歴史は、西暦578年、聖徳太子による四天王寺建立から始まったとされています。百済から招かれた宮大工・金剛重光を祖とし、歴代の金剛家は四天王寺のお抱え宮大工として、寺院の建立や度重なる再建に携わってきました。戦国時代の戦火、江戸時代の火災、明治維新による寺領の消失、昭和初期の経営難、室戸台風、第二次世界大戦、戦後の建築様式の変化など、1400年以上の歴史の中では何度も存続の危機を迎えています。

それでも金剛組は、伝統技術を守りながら時代に合わせて事業を変化させてきました。1955年には株式会社化し、戦後には鉄筋コンクリートによる社寺建築にも進出。そして2000年代の経営危機では髙松建設の支援を受け、2005年に設立された新たな株式会社金剛組へ寺社建築事業、従業員、宮大工、技術などを引き継ぎました。

現在の法人そのものは2005年設立ですが、その事業と宮大工の伝統は578年から連なる歴史を継承しています。金剛組が1400年以上にわたり残してきたものは、会社名だけではありません。

木を読み、建物をつくる技術。
職人から職人へ受け継がれる知識。
仕事に誠実に向き合う精神。
そして、何度失われても再び建て直す力です。

「伝統を守るために、変わり続ける」。

金剛組の1400年以上にわたる歩みは、日本最古級の企業が現代まで生き続けてきた理由を示す、極めて貴重な企業史といえるでしょう。

出典:www.kongogumi.co.jp

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